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ペース・メソッドとは

ペース・メソッドはコロンビア大学教授であり、優れた音楽家でもあったロバート・ペース博士が、「音楽は、すべての教科のコア(核)である」との理念のもとで考案された、生涯型ピアノ学習法です。当時から教育心理学者の間では、音楽の持つ潜在能力が、全ての教科の学習に大きな効果をもたらすこと、人間形成に多大な影響を及ぼす事は知られていました。しかし、各種心理学を基にした理論的で、かつ緻密な体系をもつ学習法は確立されていませんでした。また、政府の音楽教育にかける予算も少なく、音楽教育の重要性に対する理解も不十分でした。貧富や人種間による教育格差の是正、教育全体の底上、充実を模索していたケネディ大統領は、音楽の持つ潜在能力に深く理解を示しペース博士を、国の音楽諮問機関の一員に任命されました。残念なことに、抜本的に教育改革に取り組もうとした矢先、ケネディ大統領の不幸な事件で、この国家プロジェクトは実現できませんでした。がしかし、ペース・メソッドは、これまでの徒弟制度のようなレッスン形態を根本から刷新するものであり又、音楽の持つ可能性を広げるペース・メソッドの理論や理念は高く評価されました。現在は、数カ国語に翻訳され世界へと広がっています。

日本での歩み

1983年

ペースピアノ教育シリーズ日本語版 音楽之友社より出版
*「音楽をはじめよう」
*「音楽をはじめよう(教師用)」
*「ピアノレッスン」「音楽のべんきょう」「ドリルブック」「指をきたえる」(レベル1~3)

神保洋子氏によるCMセッション(講習会)
International Piano Teaching Foundation(I.P.T.F.)

ジャパンディビジョン発足

1986年 レベル1教師用ガイドブック 出版
1987年 「幼児用おんがくをはじめよう」
「幼児用おんがくをはじめよう(教師用)」 出版
1989年 国立音楽大学 音楽之友社の招聘によりロバートペース博士 2度目の来日
1996年 「キーボード レッスン」「クリエイティブキーボード」
*レベル1A-1B 音楽之友社より出版
2000年 ペース博士来日、全国各地で講演・セミナー開催 
2003年 「IMSEP」(ペース・メソッド音楽性アチーブメントプログラム)発足
NY、関東、東海、関西、中国で開催された 
2005年 NY研修ツアー 
2007年 2007年NY・JIMBO MUSIC STUDIOのYNOS青少年室内合奏団来日・
東京・名古屋・奈良で演奏会
 
2010年 第6回全国会議開催(東京) 
2010年 「指導者研修」発足
「スタンプラリー」制度開始 
2015年 「未来に羽ばたくピアノ教育」の本を出版 

ペース・メソッド研究会について

ペース・メソッドの理念に基づき指導法の実践や研究を行うために、自主的に運営されている日本全国にある地域研究会のすべてを母体とする組織です。社会の音楽教育や広く文化の向上発展に寄与することを目的としています。また、I.P.T.F.(国際ピアノ指導者協会)の日本支部(Japan Division)でもあります。

ペース博士の略歴

↑ペース博士のピアノ・テクニック講習ムービー(一部抜粋)の紹介

1948年 ジュリアード音楽院卒学士取得 
1949年 コロンビア大学教育学部修士取得 
1951年     〃         博士号取得 
1959年     〃         教授 
1995年     〃         名誉教授 

その他の活動 

1948~51年 ピアニストとしてコンサート活動(コロンビア・アーティスツ所属) 
1953~56年 全米音楽教育者会議 ピアノ部会議長 
1956~62年 「ミュージック・ジャーナル」ピアノ部門編集委員 
1962~63年 ケネディ大統領諮問機関全米における音楽教育現状調査委員 
1963~77年 全米ピアノ連盟 教育部会会長 
1977~78年 国際チャイコフスキー・コンクール、ニューヨーク顧問 
1977~2010年 International Piano Teaching Foundation 会長 

ロバート・ペース博士(1924〜2010)

ピアノ教授法に関する全国会議by ロバート・ペース

於.ウィスコンシン ; 10月21日,1982

この論文のはじめに、現代社会に於ける、芸術の位置するところはどこかという問いに触れてみたいと思います。それにつづき、ロバート・ペース ピアノ教育シリーズの特筆すべき、思想的内容及び教授法のいくつかの要点について述べてみましょう。

 芸術は、子供たちの受ける巾広い教育の中でも、とりわけ役立つものとして評価されるべきものであると私は確信しています。それを本来の意味で捉えるならば、音楽の学習は他の課目の学習の中で行われると同様の基本的な学習です。しかし、今日、私ども専門家は、一般芸術、特に音楽の知的優位性をカリキュラムの中の大切な要素として把握することを怠ってきました。これはどうやら、この節約削除の時代に、私たちの生活を更に貧しくしてきた重大な事柄のようです。

 私どもは、何故、音楽をやるのかもの問いに、もっと説得力のある答えを見い出さなければなりません。私どもの会議や研究会では、ごくしばしば、一般の人たちが、音楽を万人にとって基本的なもの、すなわち音楽教育は、それ自身、私たちをよりよき人格の形成に導くものと感じているかのように扱ってきました。これに反し、実際には、多くの人が音楽をおまけの学習科目、あるいは、飾りもののように考えています。子供の頃、音楽の勉強に費やした努力を、その後、生涯に役立たせている人は、ごくごく僅かしかいません。
さて、何故、音楽をやるのかも古い「芸術のための芸術」という考え方、そして、歴史的合理主義は、音楽を学習課目の中に加えていながらも、不景気や失業率の高い時勢には、小さな比重しか与えてきませんでした。公立学校と大学の予算が、物価の上昇及び申し込み者の減少によって削られるとき、私どもの政治家たちの、音楽と他の課目との関係についての本当の見解が、残念ながら露見してしまうのです。もちろん彼等の判断の基準となるために必要な資料が、あまりにも少ないので、彼等は音楽の基本的価値を理解することができないのです。

 はじめに述べましたように、音楽は、他の課目に於けるよりももっと、知覚による思考と学習を行うことができるという見解を、私どもの何人かの仲間はもっています。これにつき、興味あることというより、もっとすばらしいこととして考えられるのは、音楽学習は人生経験の中の感情面、認識面、及び末端神経運動の三つを総合し、同時に稼動するものとして実際に、他の分野に於ける学習過程の能率高揚を際立って可能にしていると思われます。しかし、この理論の行方を追求することは私がこの論文で扱おうとしていることではありません。むしろここでやりたいことは、私どもの教育法では、音楽学習は、本来こうあるべきではないかという、その特徴ある要点に焦点をあててみることです。

 音楽は時間の芸術ですから、演奏は、ある時間の枠の中に位置を占めるもので失うまいとするならば、止まることはできません。すなわち、それは動きの中で経験されるものです。知的理解力、感情、末端神経運動の交流点は、音楽の演奏に人が没頭するとき得られるものであり、また、これら三者の交流点は、演奏の間に起こる思考過程を把握したとき、人の心を魅了してやまないものとなります。それはいかなる方法であるにせよ、演奏者と聴衆の両者に経験され、思索され、反応されるものであり、ある特定の作品が演奏されるわずかの時間の流れの中で、各人が感動を受けることができるのです。

 更に、この先を続けますと、私たちは行動の中で反応しているだけでなく、そこには演奏者と聴衆が、ほとんど同時に獲得することのできるたくさんの音の響きや形、その結合と変化があるのです。演奏者にとっては、まだほかの面も考えられます。人が行動の中で思考するとき、そして変化する様々な結合に関係する時、その人自身の感情と音楽的発想を反映した大切な内容が、そこにはあります。人は「単に他人の演奏を模倣したり、先生の指示に受け身に従ったりするよりも、自身のユニークな発想を表現することで、作曲者のしるした様々な音楽的符号をどのように解釈したらよいか」と問うてみることでしょう。

 たしかに、これらすべてのことは、上級レベルの演奏で、はじまることがらではなく導入の指導から養われなければならないものです。プロダクツ指向の指導法の落し穴を排除することは、先生にとって大切なことです。そのような行き方をすれば、生徒たちは非常に正確さと熟練とで作品を弾くようになりますが、必要な内容とか、音楽の成熟や、独創性の開発のための学習過程をないがしろにしてしまいます。

 美学的経験は、人生を豊かにするものであることは、広く理解されてきた理解で、そのこと自体に反対する人は滅多にいないでしょう。しかし前に述べましたように我が国では、音楽教育は受けたが、それにより、実際には、精神生活は豊かにならなかった何百万の人口が、あるわけです。あまりにもしばしば生徒たちは、公立学校の授業を何年か受けた後でも楽譜を読むことができないし、ごく簡単な音楽でさえ、演奏することができません。そして春の発表会のために一曲のピアノのための小品を単純に暗譜することで、学校が終ってからの時間を何時間も費やす生徒たちもいるのです。多分、ほんの僅かな人だけが、個々に、本当に音楽は彼らの生活を豊かにしてきたと感じているのではないでしょうか。

 しかし、この美学的瞬間は、認識(事実の理解)と感情(情緒)と末端神経運動(演奏熟達)の適切なバランスを各人が得られるように、私どもが助力すれば、容易に到達できるものだと私は考えます。そして事実、それら全部の微妙なバランスは、演奏に応用されることのない無関連な理論や、音楽性に欠けたテクニック、あるいは様々な時代の適切な様式の理解を無視した情感過剰などの問題を排除するのです。

 発達心理学の理論は、一般的学習過程の内面を把握するのに非常に有効で、それはまた音楽の学習にも適用できるということを、私は発見しました。ピアジェの研究は特に、段階的な精神面の成長と発達のための沢山の積み重ねによる幼年期の概念構成を理解するための助けになります。子供たちが、各レベルで、その学習過程を理解することを助けてあげることで、私どもは、よりよい演奏(プロダクツ)の進歩を彼らに可能にしてあげられるのです。

 残念ながら、音楽の学習に於いては、生徒たちはしばしば空で覚えることをやり、実際に学びとるものはほんの僅かです。彼らは一つの作品を、丁度電話番号を覚える時と同じように、繰り返し繰り返し弾くことで暗譜をします。そしてまた同様、その繰り返しの作業をやめたとき、覚えた事柄はすぐに忘れてしまうでしょう。多分、この違いは、短期記憶と長期記憶の間におこるものと思われます。短期記憶は「ろ過組織」として考えられ、人が長期間情報を保存しておこうとしない場合には役に立つものです。けれども長期記憶は、様々な概念化と関連づけにより、内的貯蔵組織としての役割をします。情報は、あとで呼び戻され、また使用されるように論理的な方法で蓄積されます。ここに私のアプローチの要点の一つがあります。使われる教材の範囲及び一貫性、扱う内容のとりあげていく順位などは、生徒が各発達段階で成功するためには決定的事項です。生徒たちはレッスンの間、自分が何をしているのかを非常に明確に理解していないとなりませんし、だから、次の週まで文字通り、自分の力で自習することができるのです。このことを念頭において、このメソッド独特のいくつかの性格を考察してみたいと思います。

 音楽学習へのこのアプローチは、「音楽性開発」を基盤においています。この言葉は、全国の様々な音楽研究グループが、名乗りをあげるのに使うため、最近は、ある特別の意味をもつようになってきました。けれでも、私どもの論議は、それは、基礎理論、和声、耳の訓練、初見、書き取り、そして即興などの学習の相互関係と、ゆきとどいた一貫性を意味し、そして、バロックから現代までの音楽的解釈法を、その演奏に必要な技術を適用しながら、見い出していくことを意味しています。導入からの指導内容の考え方は、西洋音楽の様々な音楽的からくりをバランスをとって扱っていくということです。その中には、対位法的、和声的用法によるダイアトニック、クロマティーク、複和声旋法、12音々階、そして4度和声などが含まれています。教材は連続的に上へ、同時に横へ広がっていく、らせん形に組まれています。それで、生徒たちは、だんだん難しくなり、上級に進んで行くと同時に、各レベルで音楽的理解を広げていくことになります。これは音楽の基礎理論を大学のレベルまで遅らせて始める曲目演奏とテクニックを、もっぱら中心としたアプローチと極端に対比したものです。

 教育理論家、ジェローム・ブルーナーは、継続的な学習のためには、常に、そこに前提的蓄積がはいっていなければならないため、学習段階の構成の重要性を強調しています。これらの前提的蓄積が適切な順序で受け入れられた場合、生徒たちは問題を即座に解決していきます。更に、彼ら自身どのようにしてたやすく先へ進んだらよいかも学んでいきます。ブルーナーの考え方の適用は、このシリーズの基礎和声の指導法にも見出せます。まず、生徒は主和音と属七で和声づけされた音楽を勉強します。これは下属和音を使って少々複雑になった素材の学習のための予備段階です。それはつづいてiiの和音などに引き継がれるものです。これらの和音は彼らが今勉強している曲の中に使われているもので、また、それら副教材は、彼らがまだ習っていないために複雑すぎるというような問題が起こらないよう注意深く選択されたものです。この同じ考え方は、リズムやメロディー、そして様々な音楽形式にもあてはめられます。(神保 洋子 訳)

(以下、全調について、練習内容の質の向上、週6日間の自宅学習に於ける無意味な繰り返し練習を避け、創造的作業による集中力の養成。グループ指導に於ける自発性の開発及び、その他のメリットなどについては、別資料を御参照下さい。)